管理建築士 Profile

    
 ○ なぜ設計コンサルタント志したか

   子供の頃、石ノ森章太郎・横山光輝のマンガ作品は、わたしに
  とってバイブルでした。白い紙があると裏に未来都市・宇宙基地・
  宇宙船の絵をワクワク、ドキドキしながら空想して書く事が大好きで
  した。しかし、学校での図画・工作の時間は、短い時間の限定課題で
  あまり好きではなかった様に思います。夏・冬休みの宿題で自由な
  絵を書き、地元新聞、銀行の主催コンクールで、いつもクレヨン・
  絵の具など画材を頂きとても嬉しかった思い出があります。

   また、近所では住宅建設があると、切れ端を集め、カナズチ片手に
  秘密基地と称するものを企画し、作って遊んだりしていました。冬は、
  スコップを手に雪の家≪かまくら作り≫に没頭し、巨大≪かまくら≫に
  チャレンジして満喫したものでした。当然代償として手足に
  しもやけができ、母によく叱られました。

   この小学生の頃の企画・空想したり・物造りの体験が原風景として
  染み付き、自然にこの道を進ませたようです。現在、自然環境・
  都市環境・企画環境等における調査・分析・企画・デザイン・設計・
  監理の道を歩んでおり、難しい未体験のプロジェクトと遭遇すると熱く
  燃えます。


 ○ 趣味スキューバダイビングで思うこと


   スキューバーダイビングは、誰でも気軽に始めることのできる
  楽しいマリンスポーツで現在日本では、約60万人の方が
  スキューバーダイビング のライセンスを持っています。
  サンゴ礁では、カラフルな小魚が舞い、中型・大型・回遊魚と
  食物連鎖の絵巻が営まれており、海の世界を堪能できます。

  自然界、海中での世界は、我々人間の無力・限界を知らしめ、
  自然界の優雅さ・偉大さをじっくりと教えてくれます。また、反面、
  リゾート地が急速に利便性が進み都市化されいていき変貌する
  場とも遭遇します。食物連鎖の頂点でもある我々人間が、自然との
  バランスを考えず営利主義と化した時、汚染が進み良質な
  ダイビングポイントを喪失する。レジャー性を自然に求めるなら、
  よりナチュラリストの振る舞いが大切だと思います。

  残念ながら日本においては、誰でも・いつでも・気軽に通年
  楽しめるのは、一部の地域(小笠原・沖縄等)で8月から10月の
  3ヶ月程度です。しかし、小笠原海流・黒潮・親潮が交差する
  伊豆には小ぶりで個体数が少ないのですが多種多様の魚が集まり、
  学術調査のプロ・アマ水中写真家が厚手のウェットスーツ・
  ドライスーツ等を着用し 果敢にチャレンジされているポイントも
  あります。

   ダイビングはハイキングと同じです。同じようなレベル・目的で
  自然界がくりなすパフォーマンスを共有し体験するナチュラリスト
  なのです。私は、個人がそれぞれに色々な楽しみ方ができる
  ダイビングのインストラクター資格を持っており、PADIという団体に
  加入しております。もし興味のある方にはお手伝い致します。


 
川島 啓道 (青森県出身)


資格    一級建築士 建設大臣登録第197520号

  商業施設士 (社)商業施設技術団体連合会登録05-02591

  応急危険度判定士 東京都知事登録97-1-10231

  特殊建築物等調査資格者 (財)東京防災センター登録100135


 ○ ふるさと<津軽>について    

   青森は、中央に八甲田山・十和田湖を抱き、東を南部、西を
  津軽と称します。津軽の中心は、弘前です。父が弘前市、母が
  大鰐町出身で、私自身子供の頃父母の故郷育ち、学校教育は、
  青森市で18歳まで、受けた、チャキチャキの津軽っ子です。
  津軽には、東北が誇る火祭りとして、戦の凱旋を祝う青森
  ≪ねぶた祭り≫と、戦に出征する送り火の弘前≪ねぷた祭り≫があり、
  武者絵・太鼓・笛・鈴と余りにも有名です。ふるさと
  ≪津軽≫は、この祭りをピークに一気に秋模様となるわけです。
  
   今、青森は、新しい環境問題開発として三内丸山遺跡周辺に歴史・
  文化施設ゾーンを形成し、通年型観光都市を目指しています。
  この新しい試みを、一気に開発するのではなく市民が誇れ、
  文化研究が根付く、バランスのとれた事業で、投資効果が生まれ、
  歴史を重んじ、継承されるようにしてもらいたいと郷土出身として
  願っています。

   一方、津軽には、あまり知られていないが根強く市民文化が
  あります。怖山のイタコは有名ですが、実は津軽の中心にある
  ≪岩木山≫の信仰です。弘前から見るリンゴ畑の津軽平野と
  津軽富士≪岩木山≫とのコンビネーションは、雄大な景色を造り、
  夕焼けに当たる青森市側からの眺めは、とても神秘的です。現在でも
  古くからの岩木山信仰が根強く≪イタコ・ゴミソ・神様≫と呼ばれる
  人達が津軽だけでも120人以上もおり、日常において≪民間信仰≫
  の盛んなとこで、神道と民間信仰の学術的サンプルに
  ≪津軽岩木山信仰≫がよく取り上げられています。メンタルな
  悩み・問題は今でも神社・寺院・医者に相談するよりその人達に
  相談するほうが多いのです。岩木山北面は≪赤倉沢≫都呼ばれ 
  ≪神様・ゴミソ・イタコ≫と呼ばれる人達が苦行に励む修験道の
  聖地です。私の父母も70歳を過ぎておりますが、家族身内の無事・
  健康を願い≪赤倉沢≫に毎年、お山詣に出掛けております。目に
  みえない体験・超常現象は分かりませんが、原子自然環境の中で
  苦行・修験道を行うことで、必然的に自然の摂理が染み込み、人が
  生きる哲学が身につき、地元カウンセラーとしての地位を築き上げた
  のではないでしょうか。

  実は、この≪岩木山≫には≪ねぶた祭り≫のルーツでもある
  坂ノ上ノ田村麻呂が登場します。坂ノ上ノ田村麻呂は岩木山の
  ≪神様・イタコ・ゴミソ≫協力で戦に勝ち、その歴史が今でも
  ≪火祭り≫として継承されているのです。
 

所属    (社)日本建築学会 会員

  (社)東京建築士会 会員

  (社)東京都事務所協会 参与 (元理事)



経歴    1975年3月 青森県立青森東高校 卒業

  1979年3月 日本大学 理工学部建築学科 卒業

  1979年4月 叶エ水順一建築設計事務所 入社

  1980年2月 渇ェ設計 入社

  1997年1月  環境デザイン研究所 設立

  1997年2月 一級建築士事務所 環境デザイン研究所 登録

  1997年6月  環境デザイン計画研究所 組織変更

  2001年5月  環境デザイン計画 社名変更

  現   在   環境デザイン計画 代表取締役 社長